河原あずの「イベログ」

コミュニティ・アクセラレーター 河原あず(東京カルチャーカルチャー)が、イベント、ミートアップ、コミュニティ運営で日々考えることを記録してます。

「自称・ミートアップ」はもうやめよう!〜アメリカで感じたミートアップコミュニティに必要な3つの要素。

f:id:assa:20170116020153j:plain

2011年にはじめてニューヨークのミートアップ社を訪問しCEOのスコット・ハイファマン氏を取材しました。これは2016年の7月に再会したときの写真です。スコットさんは、とても熱い、強い理想を持った起業家です。

「ミートアップ」という言葉を聞いたこともある方もいらっしゃると思います。テクノロジー系の方や、スタートアップ系の方が使うことが比較的多い単語かもしれません。「●●ミートアップ開催!」という告知を見たことがある方も、それなりにいらっしゃるのではないでしょうか。

もともと「Meetup」はニューヨークで2001年に創業された「ミートアップ社」が産み出した造語です。ミートアップ社は、スコット・ハイファマン氏らにより創業され、2002年に「Meetup.com」というサービスを提供開始しました。以降、15年間にわたり運営を続け、「ミートアップ」という概念を全米、全世界に広げてきました。特にさかんなのは、ぼくも3年ほど滞在したサンフランシスコ・シリコンバレーで、テクノロジー系のコミュニティを中心に、数多くのミートアップが日々開催されています。

そんなアメリカ西海岸での流行の風を受けてか、2011年頃から、日本でも「ミートアップ」と名前を冠する集まりが顔を出し始め、徐々にその数を増やしています。Meetup.comは2015年に日本語完全対応を果たし、その概念を広げる土壌を整えつつあります。

しかし、日本とアメリカでミートアップ、あるいはミートアップの要素のあるイベントを開催し、数多くのミートアップに参加してきた身から見ると、アメリカのミートアップの多くにはあって、日本のミートアップにはない要素がある気がします。日本では「ミートアップ」と名前をつけて開催するものには、すべてではありませんが、時には「ミートアップ」という名前はつけているものの、中身はただのカンファレンスやビジネス勉強会というイベントもあり、「人が集まる場」というミートアップの表層だけをなぞった「自称・ミートアップ」も散見されます。

別に本場アメリカがえらい、と言うつもりは毛頭ないのですが「ミートアップ」の本質にあるものをきちんと見据えていかないと、言葉だけあって中身は失われた「ただの人の集まり」がどんどん増えていってしまう気がします。そして、これからの時代に重要なのは、このミートアップの本質の部分に目を向け、コミュニティを活性化し、様々なバックグラウンドの人たちがどんどん助け合う環境を整えることだと思うのです。

あえて強めに言いますが、そろそろ「自称・ミートアップ」はやめていい時期です。コミュニティ系イベントがだいぶ活性化してきている今は、「ミートアップ」の中にある大事な要素を組み上げて、コミュニティづくりの本質に立ち返る、いい頃合いなのではないでしょうか。

大事な前提をいうと、ミートアップは「イベント」ではなく「コミュニティ」です。そもそもアメリカでは多くのミートアップは、純粋に少人数の人たちの「会合」のイメージが強く、カフェの片隅や自宅で行ったりしており、イベントですらない場合がほとんどです。規模が大きくなるとイベントのようなステージと客席が同居するスタイルになることも多いですが、基本的な考え方としては「参加者同士の自発的な交流(インタラクション)」がメインの要素になり、プレゼンテーションやトークなどのステージコンテンツは、サブの要素となります。

また、コンテンツに重きを置く「イベント」がミートアップの要素を兼ね備えることもありますが、その要素を兼ね備えるには「コミュニティ構築」の考えをきちんと場に反映させる必要があります。「ミートアップ」と名前を冠されている場をみてみると、それができている場もあれば、できていない場も正直あります。特に多いのは「コミュニティを育てる」という概念が欠如していたり、ズレていたりする場です。この大事な概念が欠如したりズレた場作りを繰り返しても、結局のところ、ただ人が集まるだけの「にぎやかし」で終わってしまいます。

以下、ぼくが思う、特にアメリカのミートアップで感じた「ミートアップコミュニティに必要な3つの要素」をあげていきたいと思います。1オーガナイザーとしては、日本中でコミュニティ構築の本質をおさえた場が増えて、さまざまな人たちがフラットに助け合う環境が日本にできてくることを願ってやみません。もしミートアップのオーガナイザーが読者の方にいらっしゃれば、参考にされてみると、いいのではないかなと思います。


1:ミートアップは「興味ベース」「問題意識ベース」「課題ベース」で集まる場

ミートアップは、ある特定のジャンルに対する「興味・関心」「問題意識」「課題意識」などをもとに、さまざまな属性の人たちが集まる場です。

テーマを明確に設定し「興味・関心の領域が近い」人たちが集まることで、より効率的に問題の解決策がさぐれますし、会話のレベルもあわせやすくなります。

起業家系のミートアップに当てはめると、たとえば、架空の例ですが「渋谷の起業家ミートアップ」的な名前を冠したご近所飲み会系の集まりや「●●社ミートアップ」と名前を冠したその会社界隈のメンバーの集まりは、ミートアップの本質を考えたときには、薄い集まりにならざるをえません。

そうではなくて「資金調達に悩む人向けミートアップ」など、問題意識ベースの切り口にしたり「バイオテックミートアップ」などという風に、関心ジャンルベースの切り口にすると、参加者の「情報収集」「ネットワーク構築」「問題解決」に効率的な場が出来上がります。

同じ興味関心を持っている人間であれば、誰でも参加できるオープンさも大事な要素です。また逆に「この場は自分とはフィットしない」と思った人が去るのも自由な場である必要もあります。あるテーマを掲げ、門戸を開き続け、人が常に出入りする状態を整える必要があります。

問題がすでに解決した人も、今度は、同じ問題を抱える後進の人たちを助けられるかもしれません。そういった「特定の領域で解決能力を持つスペシャリスト」と「問題解決したい人」をマッチングしたり、「知識や経験を有する人」と「知識や経験を欲している人」をマッチングする場にしていくことも、また重要なポイントになります。

もちろん、こういう場を作っていくには、一度限りで終わらずに、定期的、不定期にでも継続していって、同じ興味関心を持つメンバーのベースを増やし、メンバー同士のコミュニケーションを活性化していくことも重要です。



2:ただテーマについて話すのではなく「お互いの顔がわかった状態で話す」場がミートアップ

1のようなことを書きましたが、実は、同じ関心領域の人たちが集まってただ雑談しても、ミートアップコミュニティとしては成立しません。ミートアップにとって重要なのは、「相手を知った状態で会話すること」つまり参加者同士がお互いの顔を知り、お互いの問題意識や関心領域が共有された状態で、コミュニケーションをとることです。

ミートアップ社のCEOのスコット・ハイファマン氏は、2011年にぼくと面会した際に、次のように述べていました。

 

「例えば、映画好きが集まって、その映画について話をする。これだけではコミュニティとは言えないと思います。あるテーマについて、お互いにお互いのことをよく知って会話をしている、そして一緒に共同作業をしている、それがコミュニティです。」

 

一度、ワシントンDCで、教育をテーマにしたミートアップを取材したことがありました。地域の図書館に15名ほどの方々があつまり、教育について熱心に議論していました。いちばん驚いたのは、仕切っているオーガナイザーが、すべての参加者の名前はもちろん、職業や問題意識、なぜ参加したかの理由などを精緻に把握していたことです。こんな風に。

「彼女は学校の先生で、学校教育に関心がある。彼は8歳の息子がいて、時々彼もつれてくるよ。彼と彼女は夫婦で参加してて、4歳と10歳の子供がいる。10歳の子は倉庫番という日本からきたパズルゲームにはまっているよ。」

 
参加する人の全員が全員、すべての参加者のことを深く理解した状態で参加するのは現実には難しいですが、フォローしてくれるコミュニティマネージャー的な存在がいれば、彼や彼女を介してミートアップコミュニティの一員として交流することが可能になります。そのため、ミートアップの場を活性化するには、オーガナイザーの「コミュニティマネージャー」としての資質がとても重要になってきます。その集まりの場を盛り上げるのはもちろんのこと、参加者のバックグラウンドを把握し、どういう問題意識や課題を持っているか、また、得意なことや苦手なことも把握し、その人にとって最適なマッチングを考えてコミュニティメンバーと引き合わせたりすることも時に必要です。


3:すべての参加者は平等であり、特定の誰かに利する場にはしない。

ミートアップの2大原則は「オープン」で「フラット」であることです。参加者は平等に扱われる必要があります。プレゼンテーションがあるミートアップもありますが、そこに登壇する人もまた、自分の出番が終わった瞬間に「登壇者」としてではなく「参加者」として場に参加する必要があります。講演会やカンファレンスのような「登壇者特別扱い」は不要ですし、むしろフラットな交流を阻害する要素にもなりえます。

そして大事なことは「主催者」も同様に「参加者」であるということです。企業系のミートアップにおいては、主催企業の利益のために動きたい、という欲求は当然でてくると思いますが、基本的にはその気持ちにブレーキをかける必要があります。「主催者だから自由にやっていい」というものでもないのです。

主催者は、場づくりに細心の注意を払い、参加者に対して「Give」を繰り返す必要があります。その見返りとして、たとえば短い告知をしたり、たとえば参加者に何かを配布したり、ということはあっていいと思いますが、基本的には「Give>>>>>>Take」という状態を作る必要があります。

企業がイベントを開催する場合は、さまざまな思惑があることも当然だと思います。たとえば採用であったり、パートナー企業探しだったり、営業だったり。しかし、それが前面にでた瞬間に、コミュニティとしてのミートアップは死んでしまいます。主催企業は、短期的リターンを追究するのではなく、長期的なリターンを設定して、場を育てていく必要があります。

主催者も登壇者も参加者も境界をつくらずに、場作りという共同作業を一緒に行うのがミートアップにおいては大事なことです。すべての参加者が「いい場をつくる」ためにコミュニティに対して自分ができるアクションを考え、実践し、具体的なGiveをしていく必要があります。誰かが一方的にTakeしようとするアクションを起こした際は、そういう人は排除していく必要も時には出てくるかもしれません。Giveができる人たちが適度なバランスで相互に作用しながら場を温めていく、それがミートアップの理想だとぼくは思っています。

---

f:id:assa:20111219155443j:plain

2011年12月のミートアップ社取材時の写真

2011年の12月に、ぼくはソーシャルカンパニーの市川裕康さんのお導きにより、ミートアップ社の共同創業者でCEOのスコット・ハイファマン氏と会うことができました。その時の彼の言葉はとても鮮烈で、今でも自分の中に刷り込まれています。彼は、2001年のニューヨークのテロをきっかけに、ミートアップという概念をつくり、サービスを開始しました。アメリカリアルコミュニティの希薄化が、テロのようなCrisis(危機)を招いたと感じたとスコットさんは言います。スコットさんは、なぜリアルなコミュニティが世の中に必要なのかを、次のように説明しています。

「おそらく最も大事なことは、もし人々が対話をしなくなれば、人々が共同作業をするキャパシティやポテンシャルが生まれてこないだろうということです。人々が出会って、お互いがつながりを持つことが生み出す可能性の1つです。そのような出来事の積み重ねで、人々のつながりが、ベターな社会、ベターな文化へとつながっていくのです。」

 
これは数多くの災害や危機にも直面している日本でも同様だと思いますし、いかに人々の対話を活性化して、つながりを太くしていき、志を持つ人同士の共同作業を増やしていくかが、今の時代に求められているのではないかと思います。それが、ぼくがイベントやミートアップ活動を続ける大きなモチベーションにもなっています。さまざまな人たちが手を取り合って世の中をよくしていったり、面白くしていったりする、そんなミートアップ的な場を増やしていきたいと考えながら、イベントやミートアップのオーガナイズをする日々です。そして、こういう考えに共感し、自らもそういう場を作っていく人たちが増えて行くことを、願ってやみません。この記事が、その一助になれば幸いです

最後に。こちらでぼくが2012年に書いたスコットさんへのロングインタビューが掲載されています。とても濃い記事なので、ぜひともこちらも読んでみてください。

Meetup社CEO スコット・ハイファマンインタビュー 第1回 ~Meetupのルーツを訪ねて。: AZ reports American Event Culture



ちなみに半分余談ですが「ミートアップ」の英語のつづりは「meet up」でも「meet-up」でもなく「Meetup」(Mは大文字:ソーシャルカンパニーの市川裕康さんご指摘ありがとうございます。)なのだそうです。ミートアップ社の社員の方に直々にそう教わりました。たまに間違えて使う方もいるので、ぜひ参考になさってください。