河原あずの「イベログ」

コミュニティ・アクセラレーター 河原あず(東京カルチャーカルチャー)が、イベント、ミートアップ、コミュニティ運営で日々考えることを記録してます。

イベントで世界を変えられるたった1つの理由〜「弱い紐帯」に着目せよ!

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ニフティが運営するイベントハウス型飲食店「東京カルチャーカルチャー」のイベントにて。ニフティの三竹社長を中心に、ヤフー、リクルート、NTT、シャープ、ソニーなどの新規事業に関わる人たちが満面の笑みでカルチャーカルチャーのシャツを着て混じり合っている一幕です。この光景を支えるキーワードが「弱い紐帯です。


ぼくの職場の「東京カルチャーカルチャー」ニフティが2007年8月からおよそ10年間運営しているイベントハウス型飲食店です。ニフティは、ご存知の方が多い通り、インターネット接続や、クラウドビジネスの会社ですから、なぜネットの会社なのにイベントハウスを運営しているのか、不思議に思う方も少なくありません。

しかし、ぼくにとってみると、ネット企業がイベントを実施することは、まったく不思議なことではありません。なぜなら、イベントやミートアップ、そして、それらを重ねることで生まれる「リアルなつながり」は、特に新規性のあるビジネスづくりの領域において、大きなプラスになるからです。

「オープンイノベーション」が日本のビジネスの世界で流行語になって久しいですが、この1、2年、日本国内で、新規事業創造を目的としたイベント、ミートアップや、ハッカソンが増えてきました。日本でうまくまわっているかどうかの評価は別の方に譲ろうと思いますが、激しい環境変化により新しいビジネスを創ることが難しくなっている今「イベントは新規事業創造に役立つ」という仮説があるからこその流行なんだろうと思います。

日本での評価はさておき、おそらく日本でイベントなどを繰り返すことでオープンイノベーションを実践しようとしている人たちの多くが手本にしているイノベーションの聖地・サンフランシスコやシリコンバレーでは、実際に、イベントやミートアップのコミュニティが、新しいビジネスの創出に大きく寄与しています。シリコンバレーの強さの秘訣は、ミートアップやコミュニティの分厚さにあると言ってもいいくらいです。

ぼくが2013年8月に赴任して2016年7月に帰任するまでに、ニフティシリコンバレーで着実に新規事業開発の領域で成果をあげてきました。もうひとりのニフティ駐在員として、ニフティクラウドの立ち上げを牽引した上野聡志氏が2015年7月に赴任してからは、ニフティが現地で培ったコミュニティベースを生かし、期間とリソースの少なさにしては、多くのスタートアップとの提携案件を形にすることができました。

IoTを家庭に普及させるテクノロジーを北米から持ち込み国内でビジネス化するのを目的にニフティ東急電鉄がつくったジョイントベンチャー「Connected Design」の案件はサンフランシスコでのリサーチとネットワークから生まれました。IoTプラットフォームのスタートアップ「MODE」への出資や、CDNのスタートアップ「Fastly」との提携も、現地でつちかったネットワーク経由で飛び込んだ案件でした。

これらの案件は、もちろん、事業開発のプロである上野さんの頑張りがあってこそ実現したものです。しかし、赴任してわずか3ヶ月で彼が現地スタートアップとの商談を活性化し、半年で案件をモノにできたのは、2013年夏からニフティが培ってきたネットワークの基礎があったからでしたし、そのネットワークのほとんどは、イベントやミートアップを繰り返すことで、生まれたものでした。

シリコンバレーでぼくたちがイベントやミートアップを通じて手にいれたもの、それは「弱い紐帯(ちゅうたい)」と呼ばれる、緩い仲間意識を持つ、生きたつながりでした。それが、これらの案件をもたらす、大きな要因になったのです。

社会学の世界で提唱されている弱い紐帯の強さ」理論を、ご存知でしょうか? 実は、イベントが世界を動かす理由の根源が、この理論には隠れているのです。

これは、アメリカの社会学者であるマーク・グラノヴェッタ氏が提唱している理論です。英語では「The strength of weak ties(弱い紐帯の強さ)」と表現されます。

ラノヴェッターによれば、新しく、高い価値のある情報は、自分の家族や親友、職場の仲間といった社会的つながりが強い人々よりも、知り合いの知り合い、ちょっとした知り合いなど社会的つながりが弱い人々からもたらされる可能性が高いというのです。

家族や職場の仲間とのつながりを「強い紐帯」、ちょっとした知り合いとのつながりを「弱い紐帯」と彼は表現しています。いっけん見過ごされがちなこの「弱い紐帯」のほうに着目したのが、この理論のポイントです。

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わかりやすく手書きで「弱い紐帯理論」を図解してみました。


ビジネスに必要な人脈と聞いて、みなさんが想像するのは、緊密な関係を結んでいる同僚や、関連会社や、ビジネスパートナーかもしれません。しかし、この緊密な「強い紐帯」の関係からは、新しくて革新的な情報というのはもたらされません。同じコミュニティに属している中で流通する情報は、細部にわたる詳細な情報ではあるかもしれませんが、基本的には新規性はない「内輪(Internal Network)」の情報です。

しかし、実際にビジネスを大きく動かすような情報や案件は、実は普段出入りしている密な場の「外側」(New Cluster)からやってくることが多いのです。そして「内輪」と「外側」のハブとなる「緩いつながりを持つ存在」が弱い紐帯」(Weak Tie)です。

振り返ってみると、シリコンバレーでの提携案件のきっかけは、直接あった回数が2回しかなかったジャーナリストからの紹介や、数ヶ月ぶりにあったコンサルタントからの紹介がきっかけでした。それぞれの出会いが偶発性に満ちており「まさかこの方から情報がもたらされるとは!」という印象の出来事でした。そして、それぞれの「弱い紐帯」との出会いは、現地や日本でのイベントだったのです。

ちなみに、上記のジャーナリストの方とあった最初の場所は、まさに、伊藤園さんと一緒にニフティが2014年5月に共催した「第1回 茶ッカソン」なのです!

サンフランシスコ・シリコンバレーでは、この「弱い紐帯」を生かす方法論を、そこでビジネス活動をするローカルの企業やスタートアップの方々が、自然にとっています。そして、その文化の核となっているのが、イベントやミートアップなのです。

イベントやミートアップでは、特定のテーマに関心のあるさまざまなバックグラウンドを持つ方が、さまざまな場所から訪れます。前回の記事でも述べましたが、この、興味ベース、問題意識ベースで立ち上がった「はっきりとしたテーマ性」が、ネットワークづくりの効率性を生み出します。そして、さまざまな属性の方が自然と混じり合うことで、多様な緩いつながりが会を通じて形成されます。

日本ではFacebookが主でしょうが、サンフランシスコ・シリコンバレーではLinkedInを活用して、この緩いつながりをキープする場合が多いです。あいさつしたり、名刺を交換した方に、LinkedInの申請をし、コネクションを蓄積します。

そして、例えば、とあるジャンルをビジネス上掘る必要がある、となったときに、LinkedInのコネクションをあらためて掘り返すのです。リーチしたい特定の会社の人がいたらその人に直接「久しぶり!このミートアップであった●●だよ」と連絡します。もしくは、直接リーチしたい候補の会社とのコネクションを持つ、比較的近しい人を見つけ出し、その人経由でおめあての人を「紹介」をしてもらいます。結果、割と高確率で、ミーティングをセットアップすることが可能です。

この例をみると、LinkedInを通じて商談のためにコンタクトをとっているのは「ちょっとした知り合い」か「知り合いの知り合い」です。自身の関心領域周辺のミートアップでつながりを創ることは、効率的に特定テーマにおける「弱い紐帯」を作り出すということに直結するわけです。

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サンフランシスコ・シリコンバレーでネットワーク構築を支えるLinkedIn


もっと言うと、この「弱い紐帯」を更に効率的に構築する方法があります。それは「イベントやミートアップを主催すること」です。

ぼくがサンフランシスコ・シリコンバレーでイベントやミートアップを繰り返したのは、最初は直感からの行動だったのですが、後から思えば、来るべきときに備えて、この「弱い紐帯」をはりめぐらせるためでした。

主催者になれば、イベントやミートアップのテーマを「自身の関心領域」にいくらでも近づけることができ、結果、自身と近い関心を持っている人たちを一気に集めることができます。同じイベントをシリーズ化すれば、その人たちとのつながりを維持したり、再活性することも可能です。要するに、ビジネスに役立つ「弱い紐帯」づくりを、自らの手でキュレーションできるのです。

更に更に。自身がイベントやミートアップを主催して人を集めると、特定テーマにおけるスペシャリストと関心のある人たちを自身をハブにしてつなげることができます。面白いもので、自身がハブとなって、相手に質の高い情報を提供すると、したぶんだけ、めぐりめぐってその提供量や精度に応じて情報が返ってくるのです。

また、イベントやミートアップの中で「場を一緒に創る」共同作業をすると、仲間意識が芽生え「ちょっと遠いがいざというときに役立つ」人との生きたつながりが生まれます。

イベントやミートアップを通じ参加者にGiveを続けると、そのお返しのGiveをする人たちも増えてきたり、Giveをした相手が、自分たちが困ったときに、ちょっとした無理を聞いてくれるようになったりします。

そもそも良質なイベントやミートアップを開催すること自体が、コミュニティに対する「Give」になります。シリコンバレーでは、ニフティがイベントやミートアップをして色々な方々を混ぜていくことで、日本人コミュニティがまず活性化され、そこに親日のローカルの方々がどんどん参加してくれるようになり、今まで混ざらなかった層の人たちがどんどん仲良くなっていきました。ニフティさんのミートアップで友達が増えた、人生が変わった、そこのつながりで就職できた、そこでの出会いで起業したという方まで複数でてきました。

「自分の損得を先に考えない」のが、このGiveの効能を最大化するポイントでもあります。結果的に、サンフランシスコ・シリコンバレーの活動では、ぼくがGiveしてきた以上のGiveが、時を経てぼくの手元に返ってきました。結果、滅多にあえないキーマンが、いざという時にぼくらに質の高いアイドバイスをくれたり、案件を紹介してくれたり、別のキーマンを紹介してくれたり、メディアに紹介してくれたり、「ニフティは素晴らしいことをやっている」とぼくたちが何も頼んでいないのにプロモーションしてくれたり、あちこちで持ち上げてくれるようになったのです。


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帰任した後も、サンフランシスコ・シリコンバレーとまったく同じ思想で、ぼくはイベントやミートアップを繰り返しています。同じ問題意識を持つ人たちを集め、盛り上げ、つなげ、ひたすらGiveを続けています。すると、リピーターの増加と人づての紹介で、ますます案件が増え、体がもう2つ3つくらい欲しいくらいに(笑)ひっぱりだこの状態になってきました。

ニフティさんは素晴らしいことをやっている」「"ニフティとなら、きっとかなう。"というコーポレートスローガンをこういった活動を通じて体現されている」と言ってくださる外部の方も増え、その中には本当に社会的に影響力のある方も含まれています。シリコンバレーでの経験を生かし、新規事業系やスタートアップ系のイベントを増やすことで、ニフティの事業部との商談に結びついたケースも出てきました。

それらは、作為もなにもなく、自然と発生しているのです。ぼくらはただ、Giveを続けているだけです。結果、相手からGiveが返ってきつつあるのです。

イノベーティブと呼ばれるような「画期的なビジネス」がどのように生まれるか、その解はぼくは持ち合わせていませんが、過去の経験からひとつだけ確信を持って言えることは「イベントなどのリアルコミュニティ活動は(少なくとも中長期的には)新規なものを創り出すビジネス活動に大きく寄与する」ということです。

ぼくらは、イベントやミートアップをやめることはないでしょう。その活動が実は、広がっていく「弱い紐帯」の網を通じて、いざというとき助けてくれるたくさんの味方を作り、たくさんの周囲からのGiveを生み出し、ぼくらのビジネス活動を支えてくれるベースになると、確信しているからです。(逆に、短期的な視点でこれをやめてしまえば、すべてが台無しです。どんどん組織からGiveの精神が薄れ、社会からTakeを続けるだけの集合体ができあがるだけです。)

しかも、素晴らしいことには、ぼくらだけでなく、ぼくらの活動を通じて、関わってくれる周りの人たちも「弱い紐帯」を構築することができるのです。

結果、業界全体が活性化し、さらに社会全体が活性化し、新しいモノコトがどんどん生まれてく世界が出来上がってくるとぼくらは信じています。

WWW.(World Wide Web)という電子ネットワークの網は、世界を変えました。そして次の時代は「弱い紐帯」の織りなす人的ネットワークの網(Real Network)が、世界を変えると信じています。

だからこそ、ぼくらはイベント、ミートアップ、コミュニティづくりを、今日も明日もこの先も、ずっとずっと続けていくのです。


当ブログ記事に書かれていることは個人の見解であり、所属組織の公式な見解を述べているものではありませんので、ご留意ください(まあ一応)。

 

弱い靭帯、と表記してましたが、一方的かんちがいで、正しい訳は「弱い紐帯」とのことでした。つつしんで訂正します。

「自称・ミートアップ」はもうやめよう!〜アメリカで感じたミートアップコミュニティに必要な3つの要素。

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2011年にはじめてニューヨークのミートアップ社を訪問しCEOのスコット・ハイファマン氏を取材しました。これは2016年の7月に再会したときの写真です。スコットさんは、とても熱い、強い理想を持った起業家です。

「ミートアップ」という言葉を聞いたこともある方もいらっしゃると思います。テクノロジー系の方や、スタートアップ系の方が使うことが比較的多い単語かもしれません。「●●ミートアップ開催!」という告知を見たことがある方も、それなりにいらっしゃるのではないでしょうか。

もともと「Meetup」はニューヨークで2001年に創業された「ミートアップ社」が産み出した造語です。ミートアップ社は、スコット・ハイファマン氏らにより創業され、2002年に「Meetup.com」というサービスを提供開始しました。以降、15年間にわたり運営を続け、「ミートアップ」という概念を全米、全世界に広げてきました。特にさかんなのは、ぼくも3年ほど滞在したサンフランシスコ・シリコンバレーで、テクノロジー系のコミュニティを中心に、数多くのミートアップが日々開催されています。

そんなアメリカ西海岸での流行の風を受けてか、2011年頃から、日本でも「ミートアップ」と名前を冠する集まりが顔を出し始め、徐々にその数を増やしています。Meetup.comは2015年に日本語完全対応を果たし、その概念を広げる土壌を整えつつあります。

しかし、日本とアメリカでミートアップ、あるいはミートアップの要素のあるイベントを開催し、数多くのミートアップに参加してきた身から見ると、アメリカのミートアップの多くにはあって、日本のミートアップにはない要素がある気がします。日本では「ミートアップ」と名前をつけて開催するものには、すべてではありませんが、時には「ミートアップ」という名前はつけているものの、中身はただのカンファレンスやビジネス勉強会というイベントもあり、「人が集まる場」というミートアップの表層だけをなぞった「自称・ミートアップ」も散見されます。

別に本場アメリカがえらい、と言うつもりは毛頭ないのですが「ミートアップ」の本質にあるものをきちんと見据えていかないと、言葉だけあって中身は失われた「ただの人の集まり」がどんどん増えていってしまう気がします。そして、これからの時代に重要なのは、このミートアップの本質の部分に目を向け、コミュニティを活性化し、様々なバックグラウンドの人たちがどんどん助け合う環境を整えることだと思うのです。

あえて強めに言いますが、そろそろ「自称・ミートアップ」はやめていい時期です。コミュニティ系イベントがだいぶ活性化してきている今は、「ミートアップ」の中にある大事な要素を組み上げて、コミュニティづくりの本質に立ち返る、いい頃合いなのではないでしょうか。

大事な前提をいうと、ミートアップは「イベント」ではなく「コミュニティ」です。そもそもアメリカでは多くのミートアップは、純粋に少人数の人たちの「会合」のイメージが強く、カフェの片隅や自宅で行ったりしており、イベントですらない場合がほとんどです。規模が大きくなるとイベントのようなステージと客席が同居するスタイルになることも多いですが、基本的な考え方としては「参加者同士の自発的な交流(インタラクション)」がメインの要素になり、プレゼンテーションやトークなどのステージコンテンツは、サブの要素となります。

また、コンテンツに重きを置く「イベント」がミートアップの要素を兼ね備えることもありますが、その要素を兼ね備えるには「コミュニティ構築」の考えをきちんと場に反映させる必要があります。「ミートアップ」と名前を冠されている場をみてみると、それができている場もあれば、できていない場も正直あります。特に多いのは「コミュニティを育てる」という概念が欠如していたり、ズレていたりする場です。この大事な概念が欠如したりズレた場作りを繰り返しても、結局のところ、ただ人が集まるだけの「にぎやかし」で終わってしまいます。

以下、ぼくが思う、特にアメリカのミートアップで感じた「ミートアップコミュニティに必要な3つの要素」をあげていきたいと思います。1オーガナイザーとしては、日本中でコミュニティ構築の本質をおさえた場が増えて、さまざまな人たちがフラットに助け合う環境が日本にできてくることを願ってやみません。もしミートアップのオーガナイザーが読者の方にいらっしゃれば、参考にされてみると、いいのではないかなと思います。


1:ミートアップは「興味ベース」「問題意識ベース」「課題ベース」で集まる場

ミートアップは、ある特定のジャンルに対する「興味・関心」「問題意識」「課題意識」などをもとに、さまざまな属性の人たちが集まる場です。

テーマを明確に設定し「興味・関心の領域が近い」人たちが集まることで、より効率的に問題の解決策がさぐれますし、会話のレベルもあわせやすくなります。

起業家系のミートアップに当てはめると、たとえば、架空の例ですが「渋谷の起業家ミートアップ」的な名前を冠したご近所飲み会系の集まりや「●●社ミートアップ」と名前を冠したその会社界隈のメンバーの集まりは、ミートアップの本質を考えたときには、薄い集まりにならざるをえません。

そうではなくて「資金調達に悩む人向けミートアップ」など、問題意識ベースの切り口にしたり「バイオテックミートアップ」などという風に、関心ジャンルベースの切り口にすると、参加者の「情報収集」「ネットワーク構築」「問題解決」に効率的な場が出来上がります。

同じ興味関心を持っている人間であれば、誰でも参加できるオープンさも大事な要素です。また逆に「この場は自分とはフィットしない」と思った人が去るのも自由な場である必要もあります。あるテーマを掲げ、門戸を開き続け、人が常に出入りする状態を整える必要があります。

問題がすでに解決した人も、今度は、同じ問題を抱える後進の人たちを助けられるかもしれません。そういった「特定の領域で解決能力を持つスペシャリスト」と「問題解決したい人」をマッチングしたり、「知識や経験を有する人」と「知識や経験を欲している人」をマッチングする場にしていくことも、また重要なポイントになります。

もちろん、こういう場を作っていくには、一度限りで終わらずに、定期的、不定期にでも継続していって、同じ興味関心を持つメンバーのベースを増やし、メンバー同士のコミュニケーションを活性化していくことも重要です。



2:ただテーマについて話すのではなく「お互いの顔がわかった状態で話す」場がミートアップ

1のようなことを書きましたが、実は、同じ関心領域の人たちが集まってただ雑談しても、ミートアップコミュニティとしては成立しません。ミートアップにとって重要なのは、「相手を知った状態で会話すること」つまり参加者同士がお互いの顔を知り、お互いの問題意識や関心領域が共有された状態で、コミュニケーションをとることです。

ミートアップ社のCEOのスコット・ハイファマン氏は、2011年にぼくと面会した際に、次のように述べていました。

 

「例えば、映画好きが集まって、その映画について話をする。これだけではコミュニティとは言えないと思います。あるテーマについて、お互いにお互いのことをよく知って会話をしている、そして一緒に共同作業をしている、それがコミュニティです。」

 

一度、ワシントンDCで、教育をテーマにしたミートアップを取材したことがありました。地域の図書館に15名ほどの方々があつまり、教育について熱心に議論していました。いちばん驚いたのは、仕切っているオーガナイザーが、すべての参加者の名前はもちろん、職業や問題意識、なぜ参加したかの理由などを精緻に把握していたことです。こんな風に。

「彼女は学校の先生で、学校教育に関心がある。彼は8歳の息子がいて、時々彼もつれてくるよ。彼と彼女は夫婦で参加してて、4歳と10歳の子供がいる。10歳の子は倉庫番という日本からきたパズルゲームにはまっているよ。」

 
参加する人の全員が全員、すべての参加者のことを深く理解した状態で参加するのは現実には難しいですが、フォローしてくれるコミュニティマネージャー的な存在がいれば、彼や彼女を介してミートアップコミュニティの一員として交流することが可能になります。そのため、ミートアップの場を活性化するには、オーガナイザーの「コミュニティマネージャー」としての資質がとても重要になってきます。その集まりの場を盛り上げるのはもちろんのこと、参加者のバックグラウンドを把握し、どういう問題意識や課題を持っているか、また、得意なことや苦手なことも把握し、その人にとって最適なマッチングを考えてコミュニティメンバーと引き合わせたりすることも時に必要です。


3:すべての参加者は平等であり、特定の誰かに利する場にはしない。

ミートアップの2大原則は「オープン」で「フラット」であることです。参加者は平等に扱われる必要があります。プレゼンテーションがあるミートアップもありますが、そこに登壇する人もまた、自分の出番が終わった瞬間に「登壇者」としてではなく「参加者」として場に参加する必要があります。講演会やカンファレンスのような「登壇者特別扱い」は不要ですし、むしろフラットな交流を阻害する要素にもなりえます。

そして大事なことは「主催者」も同様に「参加者」であるということです。企業系のミートアップにおいては、主催企業の利益のために動きたい、という欲求は当然でてくると思いますが、基本的にはその気持ちにブレーキをかける必要があります。「主催者だから自由にやっていい」というものでもないのです。

主催者は、場づくりに細心の注意を払い、参加者に対して「Give」を繰り返す必要があります。その見返りとして、たとえば短い告知をしたり、たとえば参加者に何かを配布したり、ということはあっていいと思いますが、基本的には「Give>>>>>>Take」という状態を作る必要があります。

企業がイベントを開催する場合は、さまざまな思惑があることも当然だと思います。たとえば採用であったり、パートナー企業探しだったり、営業だったり。しかし、それが前面にでた瞬間に、コミュニティとしてのミートアップは死んでしまいます。主催企業は、短期的リターンを追究するのではなく、長期的なリターンを設定して、場を育てていく必要があります。

主催者も登壇者も参加者も境界をつくらずに、場作りという共同作業を一緒に行うのがミートアップにおいては大事なことです。すべての参加者が「いい場をつくる」ためにコミュニティに対して自分ができるアクションを考え、実践し、具体的なGiveをしていく必要があります。誰かが一方的にTakeしようとするアクションを起こした際は、そういう人は排除していく必要も時には出てくるかもしれません。Giveができる人たちが適度なバランスで相互に作用しながら場を温めていく、それがミートアップの理想だとぼくは思っています。

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2011年12月のミートアップ社取材時の写真

2011年の12月に、ぼくはソーシャルカンパニーの市川裕康さんのお導きにより、ミートアップ社の共同創業者でCEOのスコット・ハイファマン氏と会うことができました。その時の彼の言葉はとても鮮烈で、今でも自分の中に刷り込まれています。彼は、2001年のニューヨークのテロをきっかけに、ミートアップという概念をつくり、サービスを開始しました。アメリカリアルコミュニティの希薄化が、テロのようなCrisis(危機)を招いたと感じたとスコットさんは言います。スコットさんは、なぜリアルなコミュニティが世の中に必要なのかを、次のように説明しています。

「おそらく最も大事なことは、もし人々が対話をしなくなれば、人々が共同作業をするキャパシティやポテンシャルが生まれてこないだろうということです。人々が出会って、お互いがつながりを持つことが生み出す可能性の1つです。そのような出来事の積み重ねで、人々のつながりが、ベターな社会、ベターな文化へとつながっていくのです。」

 
これは数多くの災害や危機にも直面している日本でも同様だと思いますし、いかに人々の対話を活性化して、つながりを太くしていき、志を持つ人同士の共同作業を増やしていくかが、今の時代に求められているのではないかと思います。それが、ぼくがイベントやミートアップ活動を続ける大きなモチベーションにもなっています。さまざまな人たちが手を取り合って世の中をよくしていったり、面白くしていったりする、そんなミートアップ的な場を増やしていきたいと考えながら、イベントやミートアップのオーガナイズをする日々です。そして、こういう考えに共感し、自らもそういう場を作っていく人たちが増えて行くことを、願ってやみません。この記事が、その一助になれば幸いです

最後に。こちらでぼくが2012年に書いたスコットさんへのロングインタビューが掲載されています。とても濃い記事なので、ぜひともこちらも読んでみてください。

Meetup社CEO スコット・ハイファマンインタビュー 第1回 ~Meetupのルーツを訪ねて。: AZ reports American Event Culture



ちなみに半分余談ですが「ミートアップ」の英語のつづりは「meet up」でも「meet-up」でもなく「Meetup」(Mは大文字:ソーシャルカンパニーの市川裕康さんご指摘ありがとうございます。)なのだそうです。ミートアップ社の社員の方に直々にそう教わりました。たまに間違えて使う方もいるので、ぜひ参考になさってください。

イベントはタイトルが9割!〜企画を当てたければ "名付け"に命を懸けろ!

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いいネーミングが浮かぶといいイベントのイメージが一気に出来上がる。「茶ッカソン」はまさにその好例と言えます。

前回の記事で「イベントは司会が9割」と書いておきながら、舌の根の乾かぬうちに断言します。「イベントはタイトルが9割です!」まあ、足すと18割になるということなので、イベント名がよくて司会がいいと、イベントが約2倍よくなると、そう解釈してください(笑)。


しかし実際の話、イベント名は、企画の中で最も重要な要素と言っても、過言ではないかもしれません。

企画書の話でも書きましたが、イベントのタイトルが浮かべば、企画はできたも同然です。逆に言うと、タイトルが浮かばないと、企画は完成できないのです。タイトルだけ浮かばなくて、企画を保留にすることすらあります。いや、52点くらいのネーミングなら、比較的容易に出てくるんですけど「これしかない!」というタイトルがピタッとはまるときははまるし、もっと何かでてくるはずだ、というモードになります。

そして、実際苦しんだ後に、ネーミングが降ってきたときのあの感覚は、本当に快感です。「画竜点睛」の故事に例えると、絵に描いた龍に、黒い目を入れる瞬間が、イベント企画においては「タイトルの決定」だと思うのです。

ぼくの場合はですが、ふとした拍子に突然にタイトルが降ってくるときが多いです。例えば、会議が煮詰まっていまいちネーミングが定まらずにいる帰り道、ぼんやりと夜道を歩いてると浮かんできたり。お風呂入ってるときだったり。電車乗ってる移動時間だったり。

時々起きるのは「トイレにいく前後に浮かぶ」です。会議が煮詰まったときに、トイレに立つときに、時々、「あ、なんかでそうだ」と予感がする瞬間があります。(もちろんトイレで「出すもの」以外です。念のため)。で、用を足して、すっきりした瞬間に、ピン、とネーミングが、天啓のごとくやってきます。後で紹介する「茶ッカソン」と「BIO HACK THE FUTURE」は、トイレに立った際に生まれました。

ぼくにも説明つかないんですけど、こういうのって、張り詰めた空気の場ではでてこず、自分がリラックスできる瞬間に、脳の緊張もふと緩み、その刺激が手伝ってドーパミンか何かがでてきて、ふわっと脳がまわりやすくなるんだと思うんですよね。

ぼくが尊敬する企画屋に、Jリーグのサッカーチーム・川崎フロンターレの宣伝部長をしている天野春果さんという業界有名人の天才がいます。イベントの企画を一緒に立てたこともあるのですが、彼もダジャレネーミングを軸にしたイベント企画づくりを得意としてて「まったく一緒やんー!」と、勝手にシンパシーを持っています。そんな天野さんは「企画名はパチンコ屋か風呂で思いつくなあ。名前が出た瞬間、企画ができた!!ってなるよ」と言っていて、ああ、似てるなあ、と一方的に思ったりもするのでした。

では、そんなぼくが名付けてきた大事な子どもたち、イベントのネーミングを以下にご紹介します。どれも「名前が浮かんで企画が完成した」イベントたちです。


「茶ッカソン」

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ニューヨークで2016年8月に開催された「茶ッカソン(Chackathon)」外国の方も混ざってのアイデアソンでは、英語での進行もやります。


サンフランシスコに駐在しているときに、シリコンバレーでおーいお茶をグーグルやFacebookなどの著名スタートアップに売り込み、伊藤園の売上を何倍にも増やした伝説の営業マン・角野賢一さんとのブレストに付き合ったときに、浮かんだネーミングです。

角野さんが、米国での茶ッカソン布教の盟友にのちになる後任の宮内栄一さんを引き連れ「伊藤園ハッカソンやりたいんです!」といって、ぼくのところに相談にきたのが2014年の1月でした。彼は春の帰任を控え、後任の後輩を引き連れ、帰る前に、自分が多大なる影響を受けた「ハッカソン」(エンジニアやデザイナーなどが集まり、1日2日程度かけて、あるお題に対してプロダクトの卵をつくる、シリコンバレー発祥のイベントのことです)をサンフランシスコで開催してから帰りたいと、何の前置きもなしに言ってきました。ぼくはサンフランシスコで何度かイベントをやっていたくらいで、そこまでイベント活動を活発にしていた時期ではなかったのですが、イベントならとにかくあずに聞け、と、エバーノートの外村さんというキーマンに紹介されて、来たと言います。

エバーノートの日本法人会長の外村さんの紹介とあれば、むげにもできず、ミーティングでブレストに付き合うことにしました。まあアイデアソン(ハッカソンから、アイデアだしのプロセスだけを切り抜いたイベントがアイデアソンで、半日で完結させることができ、開催ハードルもハッカソンに比べてとても低いのです)くらいならできるかもしれないですね、けどそもそも名前が「伊藤園ハッカソン」だと面白くないですし、続く気がしませんね…。伊藤園がやる必然性のあるストーリーとか世界観が必要だと思うんですよねえ、と、きょとんとする角野さんと栄一さんの前でまず話をしました。

 

そのあと数時間、ああでもない、こうでもない、どういうアイデアソンにしようか、と、もう1人サンフランシスコに赴任してたニフティ社員の米田さんを混ぜてブレストしました。けど、いまいち固まらない。伊藤園さんが持ってきたお茶をたくさん飲んで膀胱が膨れたぼくが、ふらふらしながらトイレにいき、用を足してる瞬間に、このネーミングが「降って」きました。

戻ってくるなりホワイトボードに黒いマーカーで「これどうでしょう、イケると思うんですけど」って描いたのが「茶ッカソン」という5文字。

嘘のような本当の話で、これが、サンフランシスコ・シリコンバレー、東京をはじめ、シアトル、ニューヨーク、京都などなど各地でシリーズ化された「茶ッカソン」のはじまりでした。「茶ッカソン」という名前が浮かんだ瞬間に、キャッチもリードも浮かんできて、世界観からイベントの雰囲気までイメージが怒涛の勢いで湧いてきて、「アイデアを着火する」なんて派生のダジャレまで出てきて、それをそのまま角野さんに渡しました。それをサンフランシスコのキーマンたちに角野さんが見せてまわったときに「これを考えたやつは天才だな!」と言われたそうで、とても嬉しかったのを覚えてます。そのあたりの経緯は、アスキーさんのこちらの記事に詳しいです。

シリコンバレー発で、角野さんが日本に上陸させた「茶ッカソン」が日本経済新聞アスキー東洋経済、ねとらぼなどで取り上げられて快進撃で話題を呼ぶにつれて「(野球のパリーグの)パパパパパッカソン」「(百均ショップとのコラボの)ヒャッカソン」などなどと、ダジャレでもじったハッカソン・アイデアソンが増えたのも面白い現象でした。たぶんハッカソンオーガナイザーのみなさんが「茶ッカソン」をみて「あ、こんなんでいいのか!アリなのか!」と気付いて「●●ハッカソン」というネーミングから切り替えたんだと思うのですよね。ぼくは勝手に自分のことを「ダジャレ系ハッカソン・アイデアソンの祖」と呼んでいますが、あながち間違いでもない気がします。実態はわからないですけど(笑)


「茶ッカソン」は名前の敷居の低さと独特の間合いのおかげか、テクノロジー系ではない方々、一般の方々の参加が多いのがひとつの特徴になっています。「茶ッカソン」って名前だけに惹かれてきた、なんて方までいて嬉しい限りです。結果、ハッカソン・アイデアソンの中ではコミュニティとして独自の進化を遂げているわけで、本当に名前って大事だなと思う事例です。

peatix.com


あ、茶ッカソン in SHIBUYAの応募締め切りが1月11日の19時までなので、興味のある方はお早めにこちらから応募どうぞ!


いいちこらぼ」

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サンフランシスコで開催された第1回「いいちこらぼ(iichiko-lab)」の様子


「茶ッカソン」の成功を目の当たりにし、伊藤園さんとも仲のいい三和酒類さんのアメリカの責任者の宮崎哲郎さんと考えたのが「焼酎を使ったアイデアソン」でした。けど、実は申し訳ないことに「アイデアソンやりたい」という宮崎さんのお誘いを、何度か保留してたんです。

なぜかというと「はまるイメージが湧いてこなかったから」。

いや、正確に言うと、イメージはありました。まず前提として、お酒という商材のこともあるので「茶ッカソン」と同じことはできない、というのがありました。茶ッカソンは子供でも参加できますが、焼酎を扱った瞬間に無理になります。それに加えて、お酒の持っている「セクシーさ」をコンセプトの中に表現したいな、と思っていたのです。お茶は、清らかさ、とか、無常観などの禅のイメージや、文化的で、もっとニュートラルなイメージがありますが、お酒を扱うのであれば「いい意味での不良感」や「高揚感」も表現したかったのです。そうなると、もちろん開催は、昼ではなく、夜がいいし。

けど、イメージはあれど、それを体現する企画がなかなか出てこなかったのです。お互い多忙にしていたというのもあって、頭の片隅には常にあったものの、三和酒類さんとのアイデアソンの企画は、しばらく実現しないままでした。

で、最初に「アイデアソンやりたいんです」と宮崎さんから言われて1年半くらいたった2016年の4月に「J-POP SUMMIT」という大きなイベントのプレイベントでいいちこイデアソンをやろうという流れになり、その打ち合わせの最中に遂にひとつのアイデアがぼくの脳内に閃きました。

それは「脳を刺激したり、心を落ち着かせる焼酎ベースのカクテルをサーブしながら進める、大人のための知的バー空間」というコンセプトを軸にしたアイデアソンの案でした。なんだったらステージにバーカウンターをつくり、照明もバーのように演出し、音楽もムーディーにして、ドレスコードもつくっちゃおう。1年半貯めていたものが噴き出すがごとくに、イメージが湯水のごとくわいてきて止まらなくなりました。


「これはいける!絶対カタチにできます!」となって、サンフランシスコのトップバーテンダーにアイデアソン用のオリジナルレシピ作成まで発注したのですが、なかなかネーミングが浮かばない。最初のコードネームは「いいちこそん」でしたがひねりがない。「Hang-thon」というのが2番目のコードネームでしたが、わかりづらいし、セクシーさがいまいち表現されてないし、日本でやることも想定していたので、英語に頼りすぎないネーミングがいいなと思ってボツに。かなり悩みました。

いろいろ悩んだ挙句にふとわいてきたのがいいちこらぼ」という名前でした。英語だと「iichiko-lab」。labはラボラトリー(研究所)の略で、新規事業を生み出す拠点にも使われます。そして、英語だと「らぶ」と発音します。これを「LOVE」と掛けたダジャレにしつつ(ちゃんとアメリカ人にも受けました(笑))「いいちこ+コラボレーション」「いいちこ愛」「いいちこ+ラボラトリー」という3つの意味がかけあわさり、しかも響きも柔らかくて口に出して言いやすい。三和酒類さんの大事なブランド「いいちこ iichiko」の訴求にもつながる!と、浮かんだ瞬間に即決していました。

いいちこらぼ第1回はサンフランシスコで2016年の6月に開催。これがアメリカ人のトップバーテンダーやお酒のメディアの編集者が目を丸くするくらいの大盛況。三和酒類さん社内にも評判はすぐに広まり、ぼくが帰任したあとの同年11月に東京第1回を開催しました。三和酒類創業家の役員の方も審査員として参加いただき大興奮で拠点のある大分県宇佐市まで帰られました。三和酒類さんの中でもとても愛されている、ニフティと育てている大事なイベントのひとつです。

「BIO HACK THE FUTURE」

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これもトイレで降ってきたネーミング。しかも、ロゴごとセットで浮かびました(笑)。言うのも野暮ですが「BACK TO THE FUTURE」のパロディです。

バイオテックに特化したとてもニッチなコミュニティイベントをやりたい、だけど研究者とかマニアだけの勉強会的な集まりにはしたくなくて、ポップな開かれたイメージでやりたい、というデジタルガレージさんと500 Startups Japanさんのオーダーで、企画の骨組みを考えました。そのときにも、企画の内容は大体見えたのだけど、あとはネーミングだけ!という状態になりました。このときは「何か出てきそうで出てこない」という、まるで喉に魚の小骨がひっかかったような状態が1時間くらい続きました。

ただ、トイレにいきたくなったときに「ひょっとして、いいの出てくるかな?」という予感がちょっとあったんです。本当に。ただ、そんなにうまいこといくわけないだろう、とか疑いつつ用を足したのですが、あら不思議、出すものだしたら、また降ってきたじゃないですか。

このときも、トイレから戻って、検討メンバーに案を見せた瞬間に「おおお!」と感嘆の声がわき、一瞬で企画が固まりました。

「DEMO DAY THE MOVIE」

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これも500 Startups Japanさんとニフティ東京カルチャーカルチャーの共同企画です。2015年12月、当時はサンフランシスコ拠点だったぼくが、発足したての500 Startups Japanに日本出張で訪問した際に「シリコンバレーのデモデイ(何十ものスタートアップが自社サービスのプレゼンテーションを実施する一種の卒業式イベント)を動画を流しながらパブリックビューイングするイベント」の構想を伝えたところ、瞬時に「やりましょう!」と回答いただき、今や3ヶ月に1回開催する風物詩イベントになってます。

 

サンフランシスコの起業家の岩山さんという方と打ち合わせしてるときに「シリコンバレーのデモディを臨場感たっぷりに動画で伝えるイベントってありかも」という話題になったのが発端で、この企画のアウトラインが生まれました。


で、タイトルですが、これはぼくの中ではけっこうレアケースで、企画のアウトラインがある段階から頭の片隅に、コードネーム的にずっとありました。最初から「DEMO DAY THE MOVIE」というイメージの元、出来上がった企画だったんですね、たぶん、自分の中では。(…というあいまいな表現使うくらいに、どうやってひねり出したのか覚えていないのです。)

通常は、何かが映画化されるときに慣用句的に使われる「〜THE MOVIE」ですが、デモデイ映像自体をコンテンツ化するこのイベントには、別の意味ではまるな、と思ったのです。これはイベント仮タイトルとして500 Startupsに提示した段階で、すんなり通りました。上のバナーはぼくのデザインですが、とにかくB級映画感を意識して作りました。

ちなみに第2回をやるときに「Season2」とつけたのは、500 Startups Japanの澤山陽平さんです。澤山さんから第2回のタイトル案が届いて、見た瞬間にニヤリとしました。この感覚が通じるから、ずっと一緒にイベントやれるんだろうなあ。以降、Season4まで続いてます。

……
他にも公開しているものからプライベートなものまで、無数のイベントやコミュニティの名付けを行ってきました。「名前をつける」というのはそれだけで象徴的な意味合いもでてきますし、各企画が自分の子供のような、そんな思い入れが生まれます。いいタイトルがついたほうが、可愛がり方も増しますし、自分の子供として送り出す以上は、時間などの制約はあれど、やはり、納得した名前で送り出したいものです。

冒頭に少し書きましたが、ぼくのイメージでは「イベントの名付け」は、「画竜点睛を欠く」で言うところの、筆で龍の目に、黒目を描く瞬間です。つまり、まだ平面なままのイベント企画を「立体化」するために、魂を吹き込む儀式です。ここは、イベント屋としての命を懸けて、臨んでいる場面でもあります。大げさに言うのであれば。

企画が当たるか当たらないかは生物ですし、運次第なところもあります。しかし、いいイベント名は、確実に、成功の確率を引き上げます。そのネーミングひとつで、関係者のモチベーションも変わってきますし、お客さんの期待も変わってくるからです。とにかく、わかりやすく、伝わりやすく、だけどハードルが下がる、親しみが持てるようなネーミングを、悩みながら、ひねりだしている日々です。

BGMは、スピッツで「名前をつけてやる」。締めにどうぞ。

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イベントは司会が9割!〜カルカルで学んだイベントを成功に導く3つの司会術

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普通のイベントプロデューサーには一般的ではないのかもしれませんが、東京カルチャーカルチャーでは、すべてのプロデューサーが、多くのイベントで司会進行も行います。

イベントを盛り上げるための要素はたくさんありますが、その中でも重要なピースは「司会(MC)」です。ぼくの職場の東京カルチャーカルチャー(カルカル)のコンテンツの多くは登壇者によるトークを軸とする「トークライブ」であり、トークライブでは、他のエンタメコンテンツに比べても、ますます進行役である司会の重要性は増します。チーフプロデューサーでありぼくのイベントの師匠の横山さんは「イベントは司会が9割」とよく言います。

確かに、さまざまな外のトークイベントをみると、司会進行に不満を覚えることは多いです。「俺のほうがうまくやれるよ!」みたいなライバル心もなくはないのですが(笑)さまざまな要素が不満の要素にはあります。たとえば、声が小さい、とか、登壇者のひとりのトークが長くなりすぎて配分ができてない、とか、会場は「もう終わってよ」という空気なのにどんどん伸びる、とか、まあ、いろいろです。

トークコンテンツにおいては、司会は各コンテンツの「ファシリテーター」を兼ねることも多いです。Facilitateとは、英語で「促進する」という意味で、要するにこの場合の司会の役割は「トークの促進役」ということになります。

一方で、たまにみられるのが「みなさまに質問です。〜についてどう思いますか?●●さんはいかがですか?▲▲さんは〜?」という前振りだけを登壇者にして、あとはひたすら聞くだけ、という司会進行役です。いわゆるビジネスイベントの「パネルトーク」にありがちな展開なのですが、これが何をFacilitate(促進)しているかと言うと、うーん、促進役、というか、調整役で、手旗信号でやってる交通整理の域を出ていないなあ、という気も致します。

このスタイルでも面白くなるときは、あります。しかし、実はこのスタイルは、個々の登壇者のトークスキルへの依存度がとても高いのです。この手旗信号の「前振り」に対して、面白い小話ができる登壇者がいれば、どかんと盛り上がります。しかし、たとえば3人登壇者が並ぶときに、3人ともこのような話術に長けていることは非常に少ないです。

ぼくが進行役をするときに心がけるのは、この依存性をできるだけ廃して、話が上手なひとはもっと上手にみせ、あまり前で話すことに慣れていない方の個性も引き出し会話に混ぜ、ここでしか聞けない話がどんどん飛び出すようにして、会話にリズムとグルーヴをもたらし、お客さんに「この話が聞けてなんかよかった!」と思わせるようにしよう、ということです。

そのために心がけていることが、主に3つあるので、ご紹介しますね。

まず1つ目は、自身の立場を「最も登壇者に近い観客」と位置付けることです。

どういうことか。まず、登壇者の話に対して、とにかく反応します。うなずいたり、相槌を口にだしていったり、「え?そうなんですか?」と混ぜ返したり。不自然に見えない程度に、やや大げさに分かりやすくこういうリアクションを繰り返します。こうすることで「ノリ」と「熱」が産まれます。だって、みなさんのプライベートでも、聞き手がうんうんと熱心に反応してくれたほうが、トークに熱が入りやすいですよね。それとまったく一緒のことをやります。

そして、ただ相槌をうつだけではなくて、本当に自分が、相手の話題に熱心に食いつき、没入していくことが大事です。たとえ、本来は自分の関心とは遠いテーマでも、とにかく「この会話にすごく興味があるしどんどん聞きたい!」という「空気をつくる」のです。(ぼくの場合は、たいてい、本当に楽しくなっちゃうし、話をどんどん聞きたくなっちゃうんですけど)

「質問」も大事です。相手の興味を刺激するような質問を必死に用意します。いい質問をひとつ、登壇者にくりだせると、登壇者の自身に対する関心の強さへのアピールになり「この人と会話するのは楽しい!」というモードに引っ張ることができます。質問への答えというのは、そのジャンルに対する登壇者の考え方をあぶりだしますし、同じ質問を他の登壇者に繰り出すとまた別の視点がそこに加わります。質問した当人も気持ちいいし、気持ちいいとますます会話は盛り上がります。

この項目の最後。もうひとつ大事なのは「ツッコミ」です。笑いにつながりそうなことを登壇者がいったらすかさずツッコミをいれます。お笑いバラエティ番組をみているとよくわかりますが、上手な司会の上手さの要因は「ツッコミ」です。登壇者が「さあどうぞ」と美味しいタイミングでネタを投下した際はしっかりツッコミを入れて、ちゃんといじり倒して、会話のグルーヴを作っていくことがとても大事です。

うなづき、相槌、質問、ツッコミ、いじり。それらは実は、心の中でお客さんがトークを聞きながら延々やっていることです。「お客さんの代表」として、客席にいるお客さんが内心思っていること、行動していることを代弁してひとつひとつカタチにしていくと、お客さんがステージに感情移入してくれることにつながります。こんな風に、特等席でトークを楽しんでる観客という感覚を持って、ステージをつくるのをぼくは心がけてます。


2つ目は「すべてのお客さんに優しいトークをつくる」ということです。

ビジネス系イベントのパネルトークによくあるのが「専門用語乱発モード」に入ることです。これが非常に扱いに繊細さが必要でして、専門用語がちょいちょいと飛び出してくると、司会としてのぼくは、モードを切り替えるようにしてます。

 

具体的にはどうするのか、というと、客席のうちほんの数名でも「わからないかも?」という単語が出てきたら躊躇なく止めて「なるほど!ところですみません、●●●ってなんですか?」と聞くのです。知っている単語でも、知らないふりで質問することもあります。難しい概念だったりすると、わかりやすく「ああ、ちょっと難しいけど、要するに●●みたいなものってことですかね?」って噛み砕いた例えで説明を試みます。


実はトークコンテンツにおいていちばん避けなくてはならないのは「内輪談義に陥る」ことです。内輪の話に終始するステージトークには、コミュニティの外からきたはじめてのお客さんは一気に醒めるものです。これでは、開かれたコンテンツにはなりません。

 

専門用語には、無意識に人の縄張り意識を促す効力があるらしく「その専門用語、おれもわかる!」みたいな仲間意識からか、一度飛び出すとどんどん専門用語の応酬になったりするのです。しかし専門用語というのは要するに「究極の内輪の言語」なので、内輪のひとたちにとっては仲間意識が強められるかもですが、外側の人間を結果置いてきぼりにしてしまうことが、ままあるのです。

 

まあ、そこまでいかなくても、わかんない単語がたくさんある本だと、読書が進まなくなる、みたいなことは多々ありますよね。トークライブも本とおなじく「エンタメ」なので、究極に分かりやすさを追究する必要があるのです。

500 Starups Japanさんと一緒にやったイベントで「SMB」という単語がでてきました。スタートアップ系の仕事をしてる方やコンサルさんはよく使うのでステージのみなさんは躊躇なく何度も繰り返し使っていたのですが、ぼくはすかさずに「あの、ぼく横文字苦手なんですが、SMBってなんですか?」って聞きました。ここで勘のいい登壇者は「しまった!」と思ってくれて「スモールビジネスの略ですよ」と返してくれます。ぼくはこう返しました。「ああ、つまり中小企業ですね!なるほど!」

そして、そのイベントの終演後アンケートにこんなものを発見しました。「司会の方が、専門用語を噛み砕いてくれたので、脱落せずに済みました。SMBってわからなくて、一瞬どうしようって置いてきぼりになりかけたんですが、説明してくれて続きに集中することができました!」

 

これは嬉しかったですね。主催者の500 Startups Japanの澤山さんも「さすがプロの司会ですね!これ大事なんですね!」と喜んでくれました。

トークやメディアコンテンツには「コンテンツは自分の母親にもわかるように噛み砕こう」という鉄則もあり、司会はできるだけわかりやすく今行われている会話を進めようと思うのです。しかし、すべての登壇者がしゃべりのプロではないので、わかりやすさをイメージするまでには至りません。それはそうですよね。ステージ慣れしてない方にしてみたら、それが「普通」なのです。であれば、司会がプロ役としてそのポイントをしっかりと意識して、会話をリードしていく必要があるのです。


3番目に心がけているのは「リズムやテンポ」です。安定した、だれない、強弱、メリハリのある会話をつくるよう心がけます。

司会は、時計に対して常に敏感です。時間をどうマネジメントするかが最も大事な仕事のひとつです。司会は、お客さんの表情にも敏感です。お客さんが小さなあくびをひとつしたら、今の話題をまいて、次のトピックに移ってみたりします。司会は、登壇者が大事なこと、いいことを言ったのに、早口で流れてしまったりして客席の反応が薄かった場合、あえてそれをゆっくりと繰り返して強調します。司会は、会話を落ち着けたいときはゆっくりしゃべり、会話をたたみかけたいときはしゃべりのテンポをあげます。

司会進行の仕事って、オーケストラの指揮者に近いなあって時々思うのですが、自身がテンポを作っているのだと強く意識して、トークが単調にならないように心がけてます。

音楽もそうなんですが、リズムやテンポが安定すると、アマチュアのオーケストラやバンドでも、一気に安定感がでてきます。「リズム体」(※)という言葉が音楽の用語にありますが、同じことがトークにもいえます。音楽の根幹は、リズム楽器と低音楽器がつくるビートであり、だからこそ「体」と表現するのです。トークも一緒です。進行役による「リズム体」が安定すれば、素人感が薄れ、プロのステージにより近づきます。「パネルトーク」と「トークライブ」の違いは、このリズム体の違いだと言っても、いいかもしれません。

 

(※ ロックバンドでいうと、リズムを創る係の、ドラムとベースのことです。リズム隊、という表記もありますが、ぼくは「体」という表記のほうがしっくりくるので、こちらを使ってます。ワインでも言いますよね。ボディ。ちなみにバンドでいうと、ドラムとベース以外を「上物」と呼びますが、リズム体という基礎に乗っかってるから「上物」なのです。基礎がないとどんなにうまくても、崩れちゃいますよね。)


……
とはいえ、これらの司会スキルを、ぼくは誰に習ったわけでもありません。すべて独学で身につけました。なぜ身についたかというと、2008年から2012年まで4年間、600本以上のイベントの進行を見続けてきたのが大きかったのです。

そこで、カルカルのプロデューサーの横山さんやテリー植田さん、芸人さんの進行をみて、どうすれば、登壇慣れしていない方をステージにあげても面白く見せられるかを学んだのです。

で、そういう方々が上手なぶん、あまり上手ではない方との違いがよく見えるようになりました。そのあとサンフランシスコにわたり、本格的にイベントの司会をすることになったのですが、とにかく、いい司会、だめな司会をじっと見て、自分なりに考えて、実践しては改善した結果、今まで書いたようなことが徐々にできるようになってきた気がします。とにかく、上達のためには、勉強、観察と、実践あるのみです。

手軽な勉強、観察の方法としては、やはりテレビのバラエティや、ラジオなどで、上手な芸人さんの司会進行などのしゃべりをじっくり聞いてみることをお勧めします。個人的には、タモリさんはもちろん、伊集院光さん、引退されましたが島田紳助さん、マツコデラックスさんなどがとても勉強になる気がします。いずれの芸人さんも「素人いじり」が上手という特徴もあります。意識してバラエティを観るだけでも、だいぶ違いますよ!

ちなみに、個人的には、なんですが、明石家さんまさんはあまり参考になりません。天才すぎるので。たぶん、彼の話術は誰にもまねできませんね…。

Wordに広がる宇宙〜「立体化」できるイベント企画書をつくる

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1/18に開催される500Startups with NIFTY presents「Co-Foundersナイト」の実際の企画書です。

イベントづくりは「企画書づくり」からはじまります。クライアントさんとお仕事をはじめて、ブレストのミーティングも盛り上がり「企画書お待ちしてます!」と締めて数日後、企画書提出。時々、びっくりするクライアントさんもいらっしゃいます。「え?Word1枚ですか?」はい、Word1枚で企画書を作ってます。もちろん、必要に応じて、何枚かのパワーポイントに落とすこともありますが、基本的にはA4で、多くても3枚程度に落としこみます。

上の写真は、1月18日に東京カルチャーカルチャーで開催する500 Startups Japanとのコラボイベント「Co-Foundersナイト」の実際の企画書です。日時、値段設定、ゲスト、想定動員、全体の進行、主催と共催の分担、基本的にはこれで終了です。(お金のパートはもちろんあるのですがそれはさすがにお見せできないのでカットしました。)企画の骨子となるのはこれらの情報ですが、多くのスペースを割くのが「タイトル」と「キャッチ(タイトル脇の説明)」そして「リード(煽り文)」です。そして、この「タイトル」「キャッチ」「リード」の3点セットこそが、企画の成否を決める鍵になります。

ぼくの場合は「タイトル」が浮かんだときに、イベント企画が9割完成します。だいたいにおいて、キャッチは、タイトルが浮かぶとセットで浮かんできます。そのキャッチを膨らませると、だいたいものの数分でリードはできあがります。

たかがA4数枚の企画書、書類に落とし込む時間自体は、最も短いときはわずか15分程度です。しかし、この落とし込む内容を考えるには、何十時間とかかることもあれば、時々浮かびきらずにボツになる企画だって出てきます。この「企画書」までたどり着く企画は、自分の中で「イケる!」と思い、実行フェイズにうつる企画のみです。

では、Word企画書に落とし込める企画とそうでない企画の差はなんでしょうか。ぼくは企画を「立体化」できるかどうか、だと思っています。

「立体化」には2つの意味があります。1つは「実現可能性」です。

テキストの企画書は所詮テキストです。しかし、企画は、実現できるものでなくてはなりません。収支はもちろん、動員もそうですし、ゲストのブッキングもそうです。企画の内容もそうです。あらゆる方向性でシミュレーションして、実現可能性を吟味した上で、企画書を作成する必要があります。実現可能性が半々くらいのものについては、実現可能性の高い代替案も付け加えなくてはなりません。実現できない企画は、ただの妄想であり、机上の空論です。企画は、実行してカタチにするまでが、企画です。企画のスタートは妄想で十分なのですが、企画書に落とし込む段階ではすでに妄想のフェイズは過ぎています。企画書は「これをかたちにします」というコミットメントも含んでいるのですから。

「立体化」のもう1つの意味。それは「イマジネーションの広がり」です。個人的には、とても重要視している部分です。

ぼくはイベントを企画するときに、映像でイベントの中身をいつも考えます。クライアントさんと企画会議をしているときにずっと考えているのは、そのイベントにどんな演者がきて、どんなお客さんがきて、どんな関係者がきて、どういう時間軸で、どういう楽しみ方をしているのか、です。それらを延々と想像します。

どこかにクリアにみえない、映像が曇るポイントがあると、それはイコール、今検討されているアイデアのどこかに無理がある、ということです。そんなときは大体ミーティングでも難しい顔をしながら「うーん、ちょっと違いますね」と言います。クライアントさんからの発案やリクエストに対しても遠慮なく言います。それが最終的に、クライアントさんのためになるからです。

脳内のシミュレーションの内容は、ミーティングでも逐次必要に応じて参加者に共有しますが、全部は共有しません。短い時間ですが、本当に膨大なことを考えているからです。お客さんの客層、男女比などはもちろんのこと、会場のオペレーションのこと、どれくらいの時間に帰るお客さんがではじめるか、遅刻してくるひとはどれくらいいるか、ビールはいつの時間帯になくなるか、どんな機材を使っているか、友達の誰々さんがきっときそうだ、じゃあ彼・彼女はイベントどこのポイントで喜ぶか、どんなことをしたら「ひく」か、終わったあとに「あずさん楽しかったです!」と言ってくるまでにはどんな過程があるか、どういう要素がそう言わせるか…などなど、実に細かいことまで考えてます。細かい情報を一気に与えると細かい話に終始してしまいがちなのでクライアントさんなどとの共有は後回しにしていい事項なのですが、プロデューサーサイドとしては、あらかじめ、自分の中で詳細な部分をシミュレーションしておくこと自体はとても大事なのです。(ちなみに実際の映像再生は走馬灯みたいな感じで脳内をめぐるので、実際の再生時間は数秒だったりします。)


で、そんな映像再生を何度も繰り返していると、たいていミーティングのあるポイントで、クリアに映像がつながるタイミングがあります。そんなときぼくはたいてい「あ、これはイケるな、イケますね」と独り言のように言い出して、ホワイトボードに何か書き出したり、口頭でイベントのイメージを伝えたりします。

ここでミーティング参加者が「それはいい!それですよ!」というリアクションになると、イベント企画は完成したも同然です(クリアな映像になった企画案は、けっこう高確率でそうなります。)。あとは名前が決まればイベント内容が決まる、というフェイズにはいります。(まあイベント名決めること自体も実はそれなりに大変なのですがそれはまた別の機会に。)

あとは自分が思い描いた客層にひっかかるような煽り文章に落とし込めれば、企画は出来上がります。その際、文章も、できる限り平易な言葉で、分かりやすく、だけど自分の描いた映像に基づき、やりたいことの「世界観」が浮かび上がるように作ります。そのため「非日常感」や「物語性」をとても意識しています。けど、あまりに本編の内容とかけ離れてもいけませんから、そこはうまくバランスをとって、文章を仕上げます。

結果、落とし込んだ文章に宿るのが「イマジネーションの広がり」です。イベントのことを説明しているだけなのに、なぜかわくわくして、「この場所にいかないとダメなきがする!」と巻き込みたい方々に思っていただく、そういう期待感を持たせることが重要なのです。

……
どうしてこんな企画書づくりができるようになったかというと、正直言うと、他のやり方を知らないからです。ぼくが、イベントの仕事をやるようになったのは2008年4月。当時28歳。元来人見知りだったぼくは、イベントなんてやったこともないのに、成り行きで東京カルチャーカルチャーに異動になりました(なぜか志望の結果でもあったのですが)。

で、カルカル店長でチーフプロデューサーであり、ぼくのイベントの師匠でもある横山シンスケさんから最初に言われたのは「100本企画書を書け。そして、1本、自分の好きなテーマでイベントをやれ」でした。手本に、と渡された企画書は、A4サイズで1枚程度のWordファイルが数点。けど、そのWordファイルの文体はとても生き生きしていて、他のイベントでは見たこともないものでした。大げさに言うのなら、その数点のWordの中には、「宇宙」のような無限のイメージの広がりがあったのです。

ぼくがまずはじめたのは、その「横山企画書」のコピーでした。自分が「これは面白い」と思ったテーマを見つけ出しては、次々と企画書に落とし込みました。最初はぜんぜんできてなかったけど、ひとつだけ、横山さんが「これでいけば?」と言ってくれた企画書がありました。自分のいちばん好きなバンド「スパイラルライフ」のファンイベントの企画書。これならできるんじゃないか? 思い入れありそうだし、カルカルはL⇔Rの(黒沢)健一くんのライブもやってるし、スパイラルライフのファンにもなじみあるでしょう、と。

 

結果、2008年6月に最初の自主イベント「スパイラルライフブートレッグナイト」が誕生しました。ファンコミュニティの仲間をかき集めて登壇してもらい、必死に告知をして、なんとかカタチにして…動員は30人ちょっとでしたけど、とても楽しかったですね。そこからぼくのイベント人生がスタートしました。

……
話が逸れましたが「立体で考える」というのも実は、イベント企画における横山さんの口癖です。ぼくは自分なりに彼の抽象的な表現を解釈して、自分なりの方法でこの「立体化」を行っているんだと思ってます。それが脳内で映像化することだったり、徹底的にシミュレーションを脳内で繰り返すことだったりするのですよね。

さまざまな事態がイベントでは起こりますが、あらかじめある程度のシミュレーションができていれば、慌てることも徐々になくなります。そして「なんとかなる」パーツと「絶対にはずしてはならないパーツ」が見えてくるようになるのです。なんとかなるパーツにはある程度ののりしろを残し、はずしてはならないパーツをとにかくしっかり埋めていく。これが、ぼくの考える「イベントをつくる」ということの根幹です。

こういう工程を経ているから、きっと、企画書はA4数枚で済むのです。けど、わくわくする企画を数枚に落とし込むと、そこに「イマジネーションの宇宙」が宿ります。テキストの行間から、立体的な映像が浮かんでくるようになります。そうするとA4数枚という制約なんて飛び越えて、読んだ人の中での企画に対するイメージが、いい意味で一人歩きしだすのです。

最初に横山さんの企画書を見たときの、あのどきどきする感じ、高揚感、立ち上るイメージ。それを大事にしながら、企画書に、脳内映像を落とし込む日々です。ここにたどり着くまでは大変なこともありますが、企画書書きは本当に楽しい。たいていニヤニヤしながら書いてるので、周囲の人は企画書書いてる最中は、あまり近寄らないでくださいね。

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企画書を引用した、絶賛前売チャージ券発売中の「Co-Foundersナイト」はこちらになります。ご興味ある方はぜひ遊びにいらしてください。ご飯と2ドリンク付きの価格なので、相当お得ですよ。

cofounders.peatix.com

「もっと動員を集めるありき」のイベントはもうやめよう〜「精度」と「満足度」を考える

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茶ッカソンの様子(伊藤園さん撮影)

あるクライアントさんと商談をしていたときの話です。ぼくは、企業さんや自治体さんと一緒に「アイデアソン」と呼ばれるイベントをやることが多いのです。その代表格が、伊藤園さんとのコラボレーションとして、シリコンバレーで立ち上げた「茶ッカソン」で、今ではサンフランシスコ、シリコンバレー、ニューヨーク、シアトル、東京、京都、横浜、鎌倉などで、のべ700人近くのかたに参加いただいているコミュニティ色の強いアイデアソンシリーズです。

で、この「茶ッカソン」はクライアントさんとお仕事して、クライアントさんの新しい事業の活性や、問題解決のヒントを得るための場にしたり、商材のPRにつなげたりすることが多いのですが、とあるクライアントさんと話をしていたときに、こんな話をされたのです。

「あずさん、今回のアイデアソン(茶ッカソン)、たくさんの方に来ていただきたいんです。100名くらい呼べますか?」
「いや、呼べません。前の打ち合わせでお話したとおり、30〜40名が適正人数、多くても参加キャンセルも見込んで50名でいきましょう」
「告知が難しいのですか?」
「いえ、この企画内容であれば、100名をこえる応募はくると思います。けど、そこから抽選で、多くても50名に減らします」
「なぜですか?100名呼んだほうが、落選して悲しむ人も少ないし、場も盛り上がるのではないでしょうか?」

 
実際、あちこちのハッカソンやアイデアソンでは100名を越す人数で実施する企画もあります。それはそれでいいことなのですが、ぼくは、このクライアントさんの企画においては、大規模でやるのはそぐわないとはっきり思い、こうクライアントさんの担当・Cさんに説明しました。


「Cさん、この企画に大事なのは、「精度」と「満足度」なんです。今後の基礎をつくる初回の大事な企画ですし、まずはそこをつきつめませんか?」

まず企画の趣旨は、そのクライアントさんの商材に、今まであまり関心を抱いていなかった層に、関心を持っていただくことでした。そして、「ああ、この商材●●って面白い!!」と反応していただき、そして、のちにその会社のファンになっていただくことを目的としていました。まず、参加者の方々に、その商材についてしっかりインプットして、商材関係者のみなさんと対話していくプロセスが必要になります。人数が多くなればなるほど、その伝わり方は希薄になりがちですし「当事者意識」が醸成されづらくなります。

参加している方のモチベーションも重要になります。不思議なものですが、大人数になればなるほど、イベントというのは「サボり参加」も容易くなります。たとえば、参加してるふりをして、自分のワークに没頭したり。少人数だと、まわりの視線がより気になるのか、もっとイベントのコンテンツに没入できる環境になるのです。1/30より1/100のほうが、ひとりのもつ重さが希薄になる。冷静に考えればシンプルな話なんですけどね。

ここまでが「精度」の領域です。きちんと、熱狂させて巻き込むべき方々を適切に巻き込むための「精度」です。

……
さて、人数が増えると、イベント構成に大きな影響がでます。たとえばグループワーク。適正人数は5〜6人です。これが7人以上になると統率をとるのが大変になってきます。仕事でのチームもそうですよね? 7人をこえると、勝手なことをしだす人というのが、どうしてもでてくるのです(不思議ですねあれ。人間の本能みたいなものがあるんでしょうか)。けど、6人までなら、一体感が生まれやすいんですよね。

さらに、グループ数が増えると、発表の時間がのびることになります。聞きっぱなしの状況に陥ったとき、人間の集中力が続く限界は50分程度です。学校の授業1コマのサイズがそれくらいだったのは、たぶんそのためでしょう。1チームの発表が5分、そのあとの質疑応答に3分とった場合、1時間弱におさめるには、最大のチーム数は7チーム程度ということになります。ときどき10チームくらいでアウトプットのプレゼンやる場合ありますけど、あれは途中で休憩時間いれないと場の緊張感を保つのが難しいです。けど休憩いれると、それはそれで緊張感がそがれる。やはり、チーム数はコントロールしたほうがいいのです。

このあたりは「満足度」の領域になります。主催者のエゴでつめこみすぎると、結果的に参加していただけるみなさんの「満足度」が減ることにつながります。もちろん「精度」が高くなるほど「満足度」もあがりますから、このあたりは相互補完関係にあります。なので、片方をないがしろにするわけにもいきません。

……
これはワークショップの事例なので、講演会とかフェス系のイベントには関係ないや、って思う方もいるかもしれませんが、ぼくは根本は一緒だと思ってます。イベントのスタイルによって、適切なサイズってあるのです。その適切サイズをこえると、どこかで無理をきたして、結果、コンテンツと参加者のマッチングの精度が落ちたり(例:ターゲットの外の層がまじってノイズになる)会場運営的に行き届かずクレームに発展したりします。(例:ケータリングの食事が足りなくなった・営業目的の人間が混じってたが目が届かず放置してしまった)

収支的に、人を呼ばないと成り立たない、ということはもちろんあるし、そのバランスを考えるのもプロデューサーの仕事ですが、少なくともさらなる収益が見込める可能性がでてきたときに「追加のチケットをあえて売らない」という選択肢をとることも時に必要だとぼくは思ってます。

けど「人をあえて呼ばない」判断をするときの実はいちばんの理由は、この商談のときにクライアントさんが納得してくれた、この言葉に含まれてたりするんですよね。

「Cさん、100人きたときに、きた全員の顔を覚えて、全員と会話できる自信ありますか?」
「うーん…正直…100人は厳しいですね。」
「じゃあ、40人なら、どうでしょう?学校の1クラスくらいです。」
「ああ、それくらいなら…なんとかがんばれますね!」

 
お客さんひとりひとりの顔をみて、関係性をつくっていくのが、コミュニティ系のイベントにおいて最も大事なポイントです。数百人と人を集めている「コミュニティのイベント」というのも世の中にはなんと存在するのですが、それって主催者も全員の顔なんて把握しきれてないのではないでしょうか。


けどぼくは思うんです。顔の見えない状態のコミュニティは結局、コミュニティではなく「マス(群衆)」と一緒なんですよね。

動員を頑張るな、とは言いません。もちろん、動員はイベントの要です。けど「より多くの動員」ありきのイベント計画をもし書いている方がいたら、いったん、一呼吸おいて、見直してみるのも、いいかもしれません。目的は何か、なぜやるのか、どういう人たちをどういう状態にするのがゴールか。それが見えると、おのずと、どういう環境をつくるのがベストなのかは見えますし、適正な動員サイズも見えてくるものです。KPIは動員数!っていうイベントも多いかもしれないですが、ゴールと目的と照らし合わせて目標値も設定していくのがいいのではないかなと思います。

※実はこのクライアントさんは架空です。複数の商談のエピソードを組み合わせたフィクションです。最後の最後にすみません。つつしんで追記させていただきます。

河原あずのイベントブログ=「イベログ」はじめます。

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河原あずといいます。ニフティが渋谷で運営するイベントハウス型飲食店「東京カルチャーカルチャー(カルカル)」を拠点にイベント屋をしてます。2008年4月から2012年4月まで年間平均200本近くのイベントのコーディネートをしてました。2011年11月から2012年2月まで会社の研修制度でアメリカ・シリコンバレーに長期出張。そこで「ミートアップ」というアメリカ流のコミュニティ構築の現場を体感してきました。2013年8月から2016年8月までは、現地駐在員としてアメリカ・サンフランシスコに滞在し、数多くの会社とコラボしながら、イベントやミートアップを繰り返してきました。帰国後は同様の活動をカルカルの新しい柱として継続しています。

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このブログは、そんなイベント屋の河原が、イベントや、ミートアップや、コミュニティの運営に関して、日々なんとなく思っていることを、淡々と記録していきます。

だいたい月間3〜5本程度のイベントやミートアップを帰国してからもカルカルの中や外でまわしているわけですが、リアルコミュニティづくりに関しては、自身の活動、カルカルの活性化はもちろんのこと、もっと外部に体系的に発信していかないと、という気持ちが徐々にわいてきました。

サンフランシスコから日本に帰国して、主に都内でいろんな現場見てると、イベントというものやコミュニティに関して、あれ?うーん、ちょっと誤解されているのかな?と思える場面に出会うことがあります。

例をあげると、「動員をどんどんもっと集めよう!目標は動員●百人!」みたいなイベント。はて。動員集めればイベントは成功なのでしょうか?「コミュニティづくりのためにイベントをやりましょう!」うん、確かにそうなんですけど、イベントをやれば必ずコミュニティができるかっていうと、ちょっと違くないかな?「●●ミートアップを●●ホールで開催!!」うーん。イベントとミートアップの違いを意識してこの言葉を使っているのかなあ?などなど。

このあたりをきちんと説明できて実践できるイベントオーガナイザーはもちろんいらっしゃいます。います、が、どれだけの人数いるかっていうと、けっこう身の回り見渡しても希少です。特に「実践」っていうのが難しい。頭でわかっていても、実行にそれをうつすのは、本当に難しいのです。

けど、このような自分の中のベースがきちんとありつつ、イベントづくり、コミュニティづくりが実践できるオーガナイザーが増えていってほしいし、そのためにはぼくなりの考え方をまとめて「ぼくはこう思う」って発信して、いろんな人たちと議論を深めてく必要あるのかなって思い始めて、このブログをはじめようかなと思い至りました。

特にコミュニティづくりの部分は、もっと自身にとっても深めなくちゃならない領域だし、もっと意識的に取り組もうと決意を新たにしとります。また、いろんなかたの解釈が入り混じりすぎて、なかなか真意が伝わりづらい領域でもあり、そのためにもまずは自分の考えの核を表に出していくことを始めようと思います。ぼくは「実践してカタチにしたことを踏まえてしか語れない」人間ですし、それは実践者ゆえの強みでもあります。とりあえず、細々と更新していこうと思ってますので、お時間あるときに、なんとなく読んでやってください。こういう話聞きたいってリクエストあれば、反映するかもしれないし、しないかもしれません。まあ、新年って、こういうの立ち上げるにはちょうどいいタイミングですしね。

よろしくお願いいたします。

あ、超余談ですが、いろいろ迷って結局はてなであけることにしました。自社ニフティのサービスの「ココログ」や、mediumやnoteなどにしようかとも迷ったのですが、コミュニティ活動してる方の人口考えるとやっぱりはてななのかなっていうのと、はじめてブログやったのがはてなダイアリーなので、初心に帰るという意味で、はてなブログを開けることにしました。ココログもいいブログなので、ぜひともみなさん使ってやってくださいね(PR)。